大人の女に似合うオススメのクラシック映画3選

モノクロームの魅力

大人の女に似合うオススメのクラシック映画3選
モノクロの写真や映画には、何故か人を感傷的にさせてしまう魅力がある。それはモノクロ=クラシックというイメージだけでは無く、視覚的な根拠があるからだ。カラーと異なるモノクロの魅力は大きく分けて3つある。

まず、深み。
色彩で見せるのでは無く、白から黒への階調で見せるためカラーでは得られない独特の深みを味わうことが出来る。

次にイメージの増幅。
色が無いことで、風景、表情、しぐさ、小道具に至るまで観る側のイメージが増幅される。俳優たちの演技がより深くその心情が伝わってくるような気がするのもこの為だろう。

最後に光。
光を意識しやすいのが最大の特徴かもしれない。カラーよりもアーティスティックな印象を受けるのはこの光による所が大きい。

今回紹介する作品も、この光があったからこそ斬新なカメラワークが活きている。加えて名作と呼ばれるクラシック映画は、演技はもちろん、監督、脚本、演出、カメラ、音楽、その全てのレベルが高いのが最大の魅力である。

今回はそんなモノクロームの世界も一緒に堪能できる2作品とカラー作品1作品を紹介したい。

勝手にしやがれ(A Bout de Souffle/フランス/1959年)

勝手にしやがれ(A Bout de Souffle/フランス/1959年)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セパーグ、ダニエル・ブーランジェ

*ストーリー
自動車泥棒の常習犯であるミシェル(ジャン=ポール・ベルモント)はある時、追跡してきた警官を殺害してしまった。それでもいつも通り自動車を売りさばいた約束の金をもらいに行く。しかしそこでは現金ではなく小切手を渡され、現金に替えてくれる男とも連絡が取れない。

気を取り直してガールフレンドのパトリシア(ジーン・セパーグ)を探してデートに誘うが、あっさり断わられて街へと出掛けて行ってしまう。ふてくされたミシエルは彼女のアパートに泊まり込む。

やがてパトリシアのところへ刑事がやってきて、ミシェルの居場所を教えろと脅す…。

*解説
フランスの若い世代による新しい映画スタイル、ヌーベルバーグによって誕生した不朽の名作。ゴダール監督のデビュー作。

16ミリカメラを意識的にブレさせたり、ジャンプカットとよばれる編集技法やカメラワーク、脈略のないセリフのテンポなどがモノクロ映像にマッチしていて小気味良い。更にゴダールの即興を中心とした演出、ベルモンドとセパーグの新鮮な演技が、二人の間に漂う虚無感をうまく表現している。

“気分”を“コトバにのせた”様な二人の台詞も印象的。「傷心と虚無では、私は傷心を選ぶ」とフォークナーの『野生の棕櫚』の一説を引用して「どちらを選ぶ?」と尋ねるパトリシア。

ミシェルは答える。「傷心は馬鹿げている。虚無を選ぶね。よくもないが、傷心はひとつの妥協だ。すべてか無かだ。」この台詞はラストシーンへの伏線とも取れ、興味深い。

一方、ファッションとしての評価も高く、セパーグのキュートなファッションは、いつ見ても新鮮で、その世界観にインスパイヤされたコレクションを発表するブランドが後を断たない。確かにパトリシアのスポーティでモードなファッションは“今の気分”かもしれない。

ベルリン映画祭監督賞受賞。

突然炎のごとく(フランス/1961年)

突然炎のごとく(フランス/1961年)
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー、アンリ・セール

*ストーリー
モンバルナスで出会ったジム(アンリ・セール)とジュール(オスカー・ウェルナー)。文学青年の二人はやがて親友となり、美しい女性カトリーヌ(ジャンヌ・モロー)と出会った時も共に彼女に惹かれてしまう。

ジュールは彼女にプロポーズし、パリのアパートで暮らし始めた。だが第一次大戦後、久しぶりにライン湖畔の夫妻の家を訪ねたジムは、ジュールからカトリーヌと一緒になって欲しいと請われ…

*解説
第一次大戦を背景に、二人の男と一人の女の複雑な愛の心理を、フランソワ・トリュフォー監督が独特のきめ細かいタッチで描いたヌーベルバーグの秀作。

自由奔放に生きるカトリーヌを演じるジャンヌ・モローの存在感と演技が素晴らしい。ジョルジュ・ドルリューの音楽も印象に残る。

「勝手にしやがれ」同様、本作のカメラワークも独特だ。瞬時に変わるカットにストップモーション、たたみかけるような早口のナレーション。それもその筈、カメラは「勝手にしやがれ」と同じラウル・クタールが担当している。

三人の関係は、単純な三角関係ではなく、少しもドロドロした所が無い。それは、この三人が愛だけでなく奇妙な友情でも結ばれているではないだろうか。

三人でいる事で保たれる危うい関係。劇中、ジャンヌ・モローが「つむじ風」というシャンソンを歌う名場面。その歌詞はカトリーヌの自由奔放さ、カトリーヌそのものを謳っているかに思える。

「出会って、再会して、なぜまた会わなくなるの?再会して、また燃えて なぜ別れるの?それから二人とも出て行った。人生のつむじ風の中に 回り続けた ふたり抱き合って」

カトリーヌは地上の常識などお構いなしに、いつまでも そのつむじ風の中で回り続けていたかったのではないだろうか。とにもかくにもジャンヌ・モロー無しには成立しなかった作品と言える。

太陽がいっぱい(Plein Soleil/フランス・イタリア/1960年)

太陽がいっぱい(Plein Soleil/フランス・イタリア/1960年)
監督:ルネ・クレマン
出演:アラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ
※こちらはカラー作品

*あらすじ
貧しい家庭に育ったアメリカ人青年トム(アラン・ドロン)は、息子のフィリップ(モーリス・ロネ)を帰国させて欲しいとフィリップの父親から頼まれ、イタリアへと向かう。

親の金で遊び回り、帰国する気など毛頭無いフィリップは、美しい恋人マルジェ(マリー・ラフォレ)を連れ、トムと一緒にヨット旅行に出掛ける。フィリップから屈辱的な仕打ちを受けるトムの心に、嫉妬と憎悪が生まれる。それはやがて殺意に変わり…

*解説
映画史上に輝く傑作サスペンス。パトリシア・ハイスミスの小説を、「禁じられた遊び」等のフランス映画の巨匠ルネ・クレマンがメガホンをとり映画化。

アラン・ドロンは、冷徹な青年トムを単にクールなだけでなく、その心の奥底にある複雑な心情を好演し、この作品で一気にスターダムを駆け上がった。ルネ・クレマン監督の時間を追うごとに高まっていくサスペンス技法。

映画音楽の名匠ニーノ・ロータの甘く切ないテーマ音楽。全てが、夏の眩しい太陽が生んだ狂気をドラマティックに盛り上げる。

しかし、同時に私にはトムとフィリップの関係が「同性愛」に近いものに映ったのである。フィリップのトムに対する執着、一方トムが欲したのはフィリップそのものであり、フィリップが住む上流階級の世界だ。

トムが鏡に映る自分自身に口づけするシーンがその全てを物語っていないだろうか?そう思う自分がおかしいのかと思ったものだが、故・淀川長治氏が同じ様に解釈していたのを知り、嬉しくなった記憶がある。

同性愛に嫌悪感を抱く人には申し訳ないが、そういう視点から観ると新しい発見があるかもしれない。同じ原作を基に、1899年にマット・デイモン主演で「リプリー」が公開されている。

想像する力

名作と呼ばれるクラシック映画は、時を経ても常に新鮮で、常に時代時代のファンを生み続ける。

そして繰り返し観る度に新たな発見がある。膨大な名作の中からお気に入りの1本を見つけて欲しい。きっとその作品はあなたの人生の中でかけがえの無いものとなり、その心の中で共に成長し続けるはずだから。